【虫たちの生き残り戦略㉓】 防御行動の進化
シリーズの最終の23回目として、虫たちの行う防御行動について、
普段思っていることを、「絵日記風」に書き留めてみたいと思います。
普段思っていることを、「絵日記風」に書き留めてみたいと思います。
この地球上に存在する捕食者と被食者が、
それぞれ生き残っていくために、様々な工夫をしていることは、
数枚の写真を見るだけで、何となく想像できます。
それぞれ生き残っていくために、様々な工夫をしていることは、
数枚の写真を見るだけで、何となく想像できます。
いや、たった1枚だけの写真でも、
生き物たちが、食べるものと、食べられるものに、
分かれてしまう宿命のようなものを感じるし、
その関係の中で、一体どんなことが起こっているのかを、
さりげなく考えさせてくれるのです。
生き物たちが、食べるものと、食べられるものに、
分かれてしまう宿命のようなものを感じるし、
その関係の中で、一体どんなことが起こっているのかを、
さりげなく考えさせてくれるのです。
ヒバリ(ヒバリ科)
2010年7月5日 伊達市・北海道
よく知られているように、野鳥類は自分で食べる他に、
育雛期には、ヒナに与える分も捕獲するので、
その捕食圧(虫を食べる機会?)は、かなり高いはずです。
育雛期には、ヒナに与える分も捕獲するので、
その捕食圧(虫を食べる機会?)は、かなり高いはずです。
写真の犠牲者は、なす術もなく捕まってしまったようです。
こんな風に、ヒバリの食物となってしまった虫たちは、
一体どういう状況だったのでしょうか?
一体どういう状況だったのでしょうか?
⇒よく見ると、かすかに翅のようなものが見えます。
獲物となってしまう虫たちにとって、最悪のパターンは、
産卵前の雌成虫だった場合です。
獲物となってしまう虫たちにとって、最悪のパターンは、
産卵前の雌成虫だった場合です。
折角ここまで生き延びてきたのに・・・
当然のことなのですが、これまで見てきた様々な虫たちの生き残り戦略は、
虫たちの一生の中のある特定の時期だけにしか防御効果がありません。
虫たちの一生の中のある特定の時期だけにしか防御効果がありません。
⇒もしかしたら、ヒバリのエサとなったのは、
ハイイロセダカモクメの成虫かもしれないのです。
ハイイロセダカモクメの成虫かもしれないのです。
ハイイロセダカモクメ幼虫と成虫(ヤガ科)
幼虫: 2011年10月4日 だんぶり池・青森
成虫: 2016年9月5日 志賀坊森林公園・青森
ミラクル擬態として紹介したハイイロセダカモクメの老熟幼虫が、
野鳥類の攻撃を避けることができるのは、ほんの一時期だけのことで、
その他の卵、若齢幼虫、蛹や成虫の時期には、何の効果もありません。
野鳥類の攻撃を避けることができるのは、ほんの一時期だけのことで、
その他の卵、若齢幼虫、蛹や成虫の時期には、何の効果もありません。
もちろん、クチブトカメムシのような遠くから視覚で獲物を狙うことのない捕食者には、
なす術もなく捕獲されてしまいます。
このような自分の姿かたちを、他のものに似せることによって、
外敵を騙して身を守る「擬態」という戦略は、
ほとんどの場合、老熟幼虫と成虫の時期に採用されます。
⇒虫たちの採用する防御戦略の多くが、
多くの野鳥類にとって、好適な餌となるはずの、
老熟幼虫と成虫の時期に見られるのは、
理にかなっていると思います。
多くの野鳥類にとって、好適な餌となるはずの、
老熟幼虫と成虫の時期に見られるのは、
理にかなっていると思います。
多くの虫たちの「虫たちの生き残り戦略」は、
せっかくここまで生き残ってきたのに、
ここで死んでたまるか!!という戦略なのです。
せっかくここまで生き残ってきたのに、
ここで死んでたまるか!!という戦略なのです。
小さな虫たちが、何か別のものに似せるというやり方は、
「捕食者に食べられないようにするための手段」としては、
手っ取り早く行える最も簡単な方法なのかもしれません。
でも、ちょっとだけ不思議なことに、
その完成度(?)は、ピンからキリまであるにもかかわらず、
みんな生き残っているように見えるのです。
その中で、最も興味深いのが、
『そこまで似せなくても、みんな騙されてくれるよ!!』
というレベルにまで達したミラクル擬態です。
『そこまで似せなくても、みんな騙されてくれるよ!!』
というレベルにまで達したミラクル擬態です。
捕食者側の視覚による識別能力が、よりシビアになればなるほど、
やり過ぎとも思えるミラクル擬態出現の可能性が出てきます。
やり過ぎとも思えるミラクル擬態出現の可能性が出てきます。
隠蔽的擬態のハイイロセダカモクメ幼虫や、
標識的擬態のセスジスカシバ成虫を見ていると、
そのような虫たちには、中途半端な妥協を許さない、
視覚に優れた捕食者の存在が、見え隠れするのです。
標識的擬態のセスジスカシバ成虫を見ていると、
そのような虫たちには、中途半端な妥協を許さない、
視覚に優れた捕食者の存在が、見え隠れするのです。
では、何故、みんながミラクル擬態にならなくても、
生き残ることができたのでしょうか?
一見、中途半端に見える擬態者は、これからも、
本当にそのままで良いのでしょうか?
本当にそのままで良いのでしょうか?
目立たなくする隠蔽的擬態【Mimesis】の場合には、
あまり葉っぱや枯れ枝に似てなくても、
基本的には、目立たなくする方に向かっているので、
中途半端(未完成?)なものでも、
捕食の機会を、少しは減らすことができるのかもしれません。
だから、中途半端な擬態の存在も、何となく理解できます。
枯れ葉に見せかけた蛾を例に、既出写真が多いのですが、
その擬態の完成度を改めて比較してみます。
⇒ただ、枯れ葉に擬態した虫たちが、本当に「隠蔽的擬態」ではなく、
緑の葉っぱの上にいてよく目立つ「非食物擬態」かもしれませんが・・・?
緑の葉っぱの上にいてよく目立つ「非食物擬態」かもしれませんが・・・?
クロズウスキエダシャク(シャクガ科)
2010年9月8日 白岩森林公園・青森
2010年9月8日 白岩森林公園・青森
色彩と模様が、やや枯れ葉を思わせる程度で、
輪郭は、葉っぱというより、まさに蛾です。
輪郭は、葉っぱというより、まさに蛾です。
オビカギバ(カギバガ科)
2012年6月26日 道の駅万葉の里・群馬
2012年6月26日 道の駅万葉の里・群馬
もう少し枯れ葉の色彩に近づき、しかも、
翅の両端がとんがって、葉っぱの葉柄を思わせます。
翅の両端がとんがって、葉っぱの葉柄を思わせます。
クロホシフタオ(ツバメガ科)
2010年9月8日 白岩森林公園・青森
翅に深い切れ込みが入って、より枯れ葉に似てきます。
マエグロツヅリガ(メイガ科)
2012年7月21日 白岩森林公園・青森
2012年7月21日 白岩森林公園・青森
さらに、翅が内側に巻き込み、頭部が葉柄に見えます。
ここまでくると、どう見ても枯れ葉です。
ここまでくると、どう見ても枯れ葉です。
ミラクル擬態と呼んでよいレベルであると思います。
アカエグリバ(ヤガ科)
2007年10月5日 徳島市・徳島
2007年10月5日 徳島市・徳島
最初に見たときには、本当に枯れ葉だと思いました。
多分、本物の落ち葉の中にいれば、
誰も見つけ出すことはできないでしょう。
誰も見つけ出すことはできないでしょう。
このように、枯れ葉に擬態する虫たちにも
様々な程度のものが混在しています。
そして、あまり完成度が高くない場合でも、
全く問題なく生き残っているようです。
全く問題なく生き残っているようです。
しかし、目立たせる標識的擬態【Mimicry】の場合には、
あまりモデルに似ていないと、中途半端に目立つようになって、
捕食者に発見されやすくなり、その目立つだけの姿かたちは、
むしろ逆効果になってしまう可能性があります。
だから、中途半端な擬態は存在しない・・・?!
ハチに似せた蛾を例に、その擬態の完成度を比較してみます。
トンボエダシャク(シャクガ科)
2010年8月1日 だんぶり池・青森
ごく初期の段階のハチ擬態だと思います。
まあ、こんな雰囲気のハチもいるようですが・・・
コスカシバ(スカシバガ科)
2010年7月27日 だんぶり池・青森
翅が透明になり、胴体の感じも、ハチに近づいています。
ホシホウジャク(スズメガ科)
2010年11月10日 新木場公園・東京
飛んでいる格好は、ハチですが、静止状態では蛾です。
クロスキバホウジャク(スズメガ科)
2011年7月3日 白岩森林公園・青森
こちらは、止まっていてもハチを思わせます。
より、ハチの姿に似てきています。
セスジスカシバ(スカシバガ科)
2011年9月8日 白岩森林公園・青森
これで、ハチ擬態の完成です。
初めて見た人は、これが蛾であるとは思わないでしょう。
何故、このような良く目立つ標識的擬態者の場合にも、
ほぼ完全なハチ擬態者がいる一方で、
不完全に目立つ擬態者が、生き残っているのでしょうか?
ほぼ完全なハチ擬態者がいる一方で、
不完全に目立つ擬態者が、生き残っているのでしょうか?
考えられる一つの理由は、捕食者にとってみれば、
人間が毒キノコを、見分けるのと同じように(?)、
それを食べるか食べないかは、命がけの選択なので、
ちょっとでも怪しいと思えば、手を出さないのかもしれないのです。
⇒多分、このシリーズ⑯で紹介したように、カトカラ類が飛び立つ直前に、
突然見せる後翅の模様が、赤系統の目立つ色以外にも、
青や白、黒色まで、様々なタイプがあり、みんなそれぞれが、
立派に生き残っていることと関係するのかもしれませんが・・・・
突然見せる後翅の模様が、赤系統の目立つ色以外にも、
青や白、黒色まで、様々なタイプがあり、みんなそれぞれが、
立派に生き残っていることと関係するのかもしれませんが・・・・
もう一つの理由として、最もありがちな回答ですが、
擬態者の数と、モデルの数のバランスなのかもしれません。
モデル種の数の方が圧倒的に多い場合には、
過去のモデル種での嫌な経験を覚えていて、
擬態者があまり似ていなくても(不完全でも?)、
捕食者は擬態者を避ける傾向が強まるはずです。
過去のモデル種での嫌な経験を覚えていて、
擬態者があまり似ていなくても(不完全でも?)、
捕食者は擬態者を避ける傾向が強まるはずです。
だから、一般的なハチの仲間に似せているエダシャクやホウジャク類は、
モデル種の数の方が、擬態者の数より(多分)かなり多いので、
あまり似ていなくても良かったのかもしれません。
モデル種の数の方が、擬態者の数より(多分)かなり多いので、
あまり似ていなくても良かったのかもしれません。
一方で、特定のハチの種がモデルになっているセスジスカシバの場合には、
どうしても、数のバランスが悪く、セスジスカシバは希少種です。
どうしても、数のバランスが悪く、セスジスカシバは希少種です。
⇒もし、モデルの数より擬態者の数の方が多ければ、
捕食者は、危険なモデルよりも、無害な擬態者に遭遇する頻度が高くなって、
擬態者の発する信号は、あまり意味がなくなり、
逆に捕食されやすくなる可能性さえあるのです。
捕食者は、危険なモデルよりも、無害な擬態者に遭遇する頻度が高くなって、
擬態者の発する信号は、あまり意味がなくなり、
逆に捕食されやすくなる可能性さえあるのです。
隠蔽的擬態のように、枯れ葉がモデルの場合には、
どう考えたって、枯れ葉の方が多いに決まっています。
どう考えたって、枯れ葉の方が多いに決まっています。
だから、枯れ葉にあまり似てなくても、大丈夫なのかもしれません。
全ての擬態者が、ミラクル擬態を目指す必要がない、
3番目に考えられる理由があります。
3番目に考えられる理由があります。
姿かたちが有毒あるいは危険なモデルによく似ること以外にも、
擬態者の行動(動き方)が、重要な意味を持っているのです。
擬態者の行動(動き方)が、重要な意味を持っているのです。
例えば、ハチに擬態するトラカミキリの仲間は、
細かく触角を振りながら、ハチのような歩き方をするし、
有毒のベニモンアゲハに擬態するシロオビアゲハのメスは、
モデルと同じようにふわふわと飛びます。
細かく触角を振りながら、ハチのような歩き方をするし、
有毒のベニモンアゲハに擬態するシロオビアゲハのメスは、
モデルと同じようにふわふわと飛びます。
この動き方まで似せることは、特に遠くから獲物を見つける捕食者には、
有効な手段であり、姿かたちの類似性が不十分であることを、
かなりカバーすることができるのだと思います。
有効な手段であり、姿かたちの類似性が不十分であることを、
かなりカバーすることができるのだと思います。
逆に言うと、モデルが動く場合には、当然その行動まで似せなければ、
形状がどれだけ似ていても、その効果が薄くなってしまうこともありえます。
形状がどれだけ似ていても、その効果が薄くなってしまうこともありえます。
もちろん、この3つの理由以外に、重要な事実があるのかもしれません。
もっと言えば、完成度の違う擬態者がいることは、別に何の意味もなし、
不思議でもなんでもないのかもしれませんが・・・・・
不思議でもなんでもないのかもしれませんが・・・・・
ここで、ちょっとだけ遠目に撮った3枚の写真をご覧ください。
このような写真は、普段あまり目にすることはないと思いますが、
実際に獲物を探す野鳥類が見ると思われる景色(?)を想定したものです。
実際に獲物を探す野鳥類が見ると思われる景色(?)を想定したものです。
⇒いつもよりサイズの大きい画像を使用しました。
写真をクリックして拡大画面で、ミラクル擬態を実感してください。
写真をクリックして拡大画面で、ミラクル擬態を実感してください。
ムラサキシャチホコ(シャチホコガ科)
2013年8月2日 矢立峠・秋田
中央部に、ちょっとした風でも、落ちてしまいそうな枯れ葉が見えます。
その斜め上の白い蛾は、たまたま写っているだけです。
写真をクリックして拡大すると、枯れ葉ではなくムラサキシャチホコであることが分かります。
セスジスカシバ(スカシバガ科)
2013年9月11日 白岩森林公園・青森
2013年9月11日 白岩森林公園・青森
この距離から見れば、怖い怖いスズメバチに見えますが、セスジスカシバという蛾です。
おそらく、ほとんどの捕食者は、ハチだと思って、近づくことはないと思います。
ヒトツメカギバ(カギバガ科)
2015年9月23日 芝谷地湿原・秋田
写真中央に白っぽい、やや細長い微妙な鳥の糞が見えますが、これはヒトツメカギバという蛾です。
野鳥類はすぐに見つけると思いますが、、自分の糞だと思って、攻撃することはないでしょう。
最後になりましたが、私のすべてのブログ記事は、
多くの生物学者が信じている(?)進化説、
つまり、「突然変異と自然淘汰によって生物は進化する」
という立場で書いています。
ただ、それだけでは理解できないような不思議な現象も、
虫たちを見ていると、まだまだ沢山あるような気がします。
虫たちを見ていると、まだまだ沢山あるような気がします。
いわゆる「神の意志」としか考えられないと主張する人もいます。
⇒もちろん、生物の進化について、
「世界にたったひとつだけの法則」
が支配しているとは限らないと思いますが・・・
「世界にたったひとつだけの法則」
が支配しているとは限らないと思いますが・・・
以下、この記事の蛇足です。
ウスベニアヤトガリバ(カギバガ科)
2013年7月27日 城ヶ倉・青森
この蛾の模様は、ヨナグニサンのような単純なヘビではありません。
前翅の付け根付近が、まるで野鳥類に破り取られたように見え、
その中に、ヘビ(コブラ?)のような模様があるのです。
その中に、ヘビ(コブラ?)のような模様があるのです。
⇒前翅の破れた部分に見えるヘビ(?)は、
下の方が、蛾の胴体とピッタリ繋がっているので、
画家が描いたのではないかと思うほどの「リアルな仕上がり」です。
ただ、その破れ目とヘビの模様を、
捕食者が本当に嫌うのかどうかは、
おそらく現時点では、観察例がないと思います。
下の方が、蛾の胴体とピッタリ繋がっているので、
画家が描いたのではないかと思うほどの「リアルな仕上がり」です。
ただ、その破れ目とヘビの模様を、
捕食者が本当に嫌うのかどうかは、
おそらく現時点では、観察例がないと思います。
何故、翅の破れ目の奥にヘビがいるという、
不思議な「手の込んだ(?)模様」になったのでしょうか?
元々は、体の一部の模様が「心霊写真」のイメージだったはずです。
ところが、何らかの理由(?)で、
その模様がある個体の方が、ちょっとだけでも、
生存に有利な状況が有ったのです。
その模様がある個体の方が、ちょっとだけでも、
生存に有利な状況が有ったのです。
⇒このような模様が、心霊写真的なものではなく、
より鮮明に見えるようになった背景は、
一般的には、捕食者との関係から考えるのが普通です。
より鮮明に見えるようになった背景は、
一般的には、捕食者との関係から考えるのが普通です。
もしかして、・・・・いや間違いなく、
このようなヘビに見える模様と、
さらには、皮膚が破れているという異常事態の両方を、
本能的に嫌う捕食者がいるはずなのです。
このようなヘビに見える模様と、
さらには、皮膚が破れているという異常事態の両方を、
本能的に嫌う捕食者がいるはずなのです。
しかし、冷静に考えてみると、以下の疑問点が浮上します。
【1】アヤトガリバの仲間は、基本的には夜行性です。
⇒夜行性の蛾の多くは、昼間動き回ることはなく、
葉っぱの裏などに隠れて静止しているので、
折角の背中の模様を、視覚で獲物を探す野鳥類に、
見せる機会は、ほとんどないかもしれないのです。
葉っぱの裏などに隠れて静止しているので、
折角の背中の模様を、視覚で獲物を探す野鳥類に、
見せる機会は、ほとんどないかもしれないのです。
【2】アヤトガリバ類は、希少種(珍品?)です。
⇒これは、個人的な感想なのですが、
人間が探すのと同じように、野鳥類が昼間に、
アヤトガリバを探し出す(出会う?)確率は、
かなり低いことが予想されます。
人間が探すのと同じように、野鳥類が昼間に、
アヤトガリバを探し出す(出会う?)確率は、
かなり低いことが予想されます。
という訳で、捕食者がアヤトガリバの模様に驚いて、
攻撃を躊躇するような機会はほとんどなく、しかも、
たまたま、その現場を人間が観察できる確率なんて、
ほぼ「ゼロ」に近いのです。
攻撃を躊躇するような機会はほとんどなく、しかも、
たまたま、その現場を人間が観察できる確率なんて、
ほぼ「ゼロ」に近いのです。
だから、アヤトガリバの「破れ目とヘビの模様の進化」は、
一般的な「捕食者と被食者との共進化」では、
今のところ説明できないのです。
一般的な「捕食者と被食者との共進化」では、
今のところ説明できないのです。
⇒そうは言っても、これだけのリアルな模様を、
「単なる偶然の産物で、何の意味もない!」
と、片づけてしまうのも、あまりにも残念です。
「単なる偶然の産物で、何の意味もない!」
と、片づけてしまうのも、あまりにも残念です。
現時点では、「謎のまま」で残しておくしかありませんが・・・